道徳について思うこと
先日,差別についてのありがちな授業があり,
部落差別はもちろん,就職差別や結婚差別まで,幅広いことを学んだ。
でもね,これって意味あるのかなって思うことが多々あるんだわ。
道徳っていえば,なんか教科書のちょっとした話から,国語よりもその人の心情をふかぼりしたり,「あなたならどうする?」といった自分の視点・立場に置き換えて考えてみたり… とクサいものばかり。
そして,授業の終わりに感想を書かせられる。
「○○さんのような視野が広い人になりたいです。」 や,
「自分も周りにいじめている人がいたら,遠慮せずに注意したいです。」
といったことが典型的なパターンだろう。
「――できるようにしたい」。
実際はどうだろうか。
自分のクラスでは,一人をみんなが蔑むようなことが,減ったどころか,増えているような気がする。
あまり道徳の学習をした気になれない。
本当に意味はあるのか?? 僕はあまりないと思うんだが。
自分らの学年には,不登校の女子がいる。
それも ちょっと変わった不登校だ。
原因はわからないが,彼女は突然いなくなった。
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小5の頃,いわゆる「林間学校」的な1泊2日宿泊体験活動があった。
近隣の小学校4校合同での行事だったため,「新しい仲間と絆を深める」というのがコンセプトだった。
なので,ここまでするかっっ! っていうぐらいたくさんの10数人の班の人らと交流する企画を楽しんだ。
2日間 特に大きな揉め事はなく,無事行事は終了した。
その日を境に,彼女は学校に来なくなった。
最初は風邪だ と話していた先生だが,やがて「不登校だ」と どストレートにカミングアウトした。
それから半年後,彼女はフォトナのシーズンに1回ぐらい(大体10週間程度) のペースで学校に来るようになった。
が,喋ることはなかった。
クラスメイトの大半も,彼女に気を遣ってコミュニケーションをあえてとらなかった。
そのまま月日は流れていき,6年生に進級。
不登校の彼女は特別支援学級に入ったものの,登校する頻度は以前より増えた。
性格も明るくなり,男子ともよく喋るようになった。ちょっとしたイジリでも平気だった。
あっという間に小学校卒業の日を迎えてしまった。
中学校に進学した僕たちだったが,突如,彼女は再び不登校になった。
僕と同じクラスだったが,顔を見せることはほとんどなかった。
原因として考えられるのは一つだけある。
それは,進学した中学校の生徒が「宿泊体験活動を合同に行った小学校4校出身の人」で構成されたいるからだ と自分は思う。
つまり自分らの小学校を除いた3校出身の人で何かしらの原因を作ったんじゃないかなーと考えることができる。
「あいつ不登校だろ?」 「かわいそう」 「もうダメだと思うよ」
―よく耳にする噂の中に,少し耳を疑うのがあった。
―どうやら本当だったようだ。
SNSの沼に入ってしまったか…
中3になった今も,彼女はほとんど姿を現さない。
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知っているのはこんぐらい。
ちょっと変わっているけど,彼女を何とかしよう とする姿勢が クラス・学年・学校全体として見られない現実に,恐怖と怒りを覚える。
最初,僕は道徳の授業はあまり意味のないのではと書いた。
これからの道徳の授業はどうするべきか。
僕は,話題をもっと身近なものにすることを提案する。
さっきの話みたいな,あまりに直球な話題だと 無理があるので,
例えば,
「X年Y組でケンカがあった。どうすればこんなことにならなかった?」 とか
「日直の仕事をさぼらないためには?」 といった学活っぽいことでもいい。
とにかく,話題を,身近で みんなの関心を集めるものにすることさえしたら,
生徒一人一人が意欲的に考えていき,また 授業が印象に残るようなものになり,
心に変化が少しでも現れていくと思う。
これが中3の本音だ。